「アダン葉帽を通して命のリレーをつなぎたい」

屋嘉比さん
「こちらに飾っている帽子は、ほとんどが、かつての伊江島の帽子クマ―の作品になるんですけれども、右上のこの帽子は今でもご健在の、中原みよおばあの作品になっていて、107歳をこの8月で迎えられたんですけれども、その方の若い頃の作品ですね」
帽子の製造が一旦終了した後も、島ではお土産品に形を変えたり、趣味として作られ続けたりしたことで、その技法が失われずにすみました。
屋嘉比さん
「産業としてはもう廃れて、なくなってしまったんですけれども、その編みの技術はこういったおばあちゃんたちが趣味でずっと編み続けてたおかげで、伊江島に残っていたというのがすごく誇れるところなんですよ。私達はまた絶やさないように大事にしていかないとという思いで、みんな頑張って編んでる…というより、楽しんで編んでる」
編み手のひとり、知念梅さんは、こんな歌を残していました。

知念さんが残したアダン葉帽子の歌
「袖振ばしがるアダンバ葉どやしが、取やい仕上ぎりばかにん見事 アダン葉の帽子の匂いふかぶかと冠んびば涼しや夏のあつさ アダン葉の手作此のままに後々まで世まで残ちたぼり お望ぬ方何時ももちたぼり眞心ゆくみて習ち上ら」
(※袖振ればトゲあるアダン葉であるがこんなに見事と、アダン葉の帽子作りをこのまま後世まで残してください。いつ梳いてでもいらしてください、真心こめて教えてあげます)
アダン葉の帽子づくりを後世に残してください、という願いが込められた歌です。

屋嘉比さん
「激戦地だった沖縄、そして伊江島という地でこの編み手さんが残っていた。この編みの技術が残っていたというのは、ひいては命が繋がってきたおかげっていうのがあるので、このアダン葉帽子を通して、この命を繋ぐリレーができたらいいな」
伊江島に残された、昔ながらのアダン葉帽。それを担う現場を訪ねると、時を越えて技法と思いをつなぐ人々の温かさに出会いました。