“言葉にできない感動”を「生まれ育った大阪で」
地元・大阪を拠点に、航空業界に関心を持つ子どもたちが所属する「関西航空少年団」。1994年の関西国際空港の開港をきっかけに結成し、航空機の見学や地域のボランティア活動を通して交流を深めている。
2019年には地元の子ども議会で、ブルーインパルスを招いた航空祭の開催を提案したこともある。しかし、「民間機の運航の支障になる」として、少年団の意見は“非現実的”なものとして一蹴されていた。当時の大人たちの対応は冷ややかだった。
翌年、コロナ禍で医療従事者に対する感謝を示すためにブルーインパルスが東京上空を飛んだニュースを見たときには「大阪でブルーインパルスを見たい」という気持ちが強くなり、河野太郎防衛大臣(当時)に直接、手紙を送ったこともある。
少年団の活動に“転機”が訪れ、夢が芽生えたのはこの頃だった。

「奇跡が起きたらいいなと思ってました」
関西航空少年団に所属し、ブルーインパルスを大阪に招致する活動のリーダー・畑部陽菜乃さん(18)は当時をこう振り返っている。
畑部さんは2022年に、ブルーインパルスの本拠地、宮城県の松島基地で初めてブルーインパルスのアクロバット飛行を目の当たりにした。テレビや動画サイトで見ていた青と白のラインが大空を駆ける姿に、言葉にできない感動を覚えたという。

関西航空少年団・畑部陽菜乃さん
「大阪・関西万博もあるし、世界中の人も大阪に来てくれる。ブルーインパルスがくれた夢や希望、自分たちが感じた感動を生まれ育った大阪で、みんなに見せてあげられたらなと思いました。『私達がブルーを呼んだら、大阪の人たちみんなが見れるじゃん』って思いました」
ブルーインパルスの姿に胸を打たれた団員たちは大きな夢を抱くことになる。目指したのはブルーインパルスの「大阪周遊フライト」「関西国際空港への離発着」、そして「大阪・関西万博会場でのフライト」だ。
夢を実現すべく、日々奔走した少年団。
ブルーインパルスの認知をより広めようと自治体が主催する様々なイベントに参加し、手作りのチラシを配布。予算を抑えるために深夜に母親の運転を頼りに、各地の航空祭に訪れて誘致の呼びかけを行ったこともある。夏休みには地元の市長に毎日のように表敬訪問を行い、協力を依頼するために汗を流した。大阪府の吉村知事と面会した際には「皆さんの夢が実現するよう支えたい」と約束をしてくれたという。
畑部さんが少年団の活動をプレゼンするために利用しているボロボロになった手作りのパンフレットは、彼女の努力と想いの強さを物語っている。

自分たちが魅了されたブルーの姿を地元・大阪のたくさんの人たちに見せてあげたい-。彼女たちの想いは次第に大人たちを動かすことになる。
今年2月。防衛省・自衛隊はブルーインパルスが大阪・関西万博の開幕式で展示飛行を行うと発表した。飛行計画は、関西国際空港から発進するブルーインパルスが大阪全域を周遊し、夢洲会場の上空を目指すというものだった。
関西航空少年団・畑部陽菜乃さん
「夢が実現しなくて、何回も辛い思いも悔しい思いもして、みんなが諦めてしまう時期もあって、このままチームをどうするかを話し合いました。それでもやり遂げたい気持ちが大きくて、『もう駄目かも』って思いながらも諦めずに活動し続けて、今回の飛行が決定したので諦めないことの大切さを本当に実感しました」