【地震から翌日】母校のある珠洲市 変わり果てたふるさとに
午後6時、高校時代に部活の後、友人とよく訪れていた道の駅すずなり。
普段であればついていたバス停の灯りや、コンビニの明かりが1つもついておらず、辺り一面真っ暗となっていました。

毎日見ていた景色は全く違うものに。現状を伝えるため、取材を続けました。
9日に再び訪れた珠洲市。変わり果てたふるさとの姿に言葉を失いました。

まるで知らない町になったようでした。
母校は今どうなっているのか。9日、高校時代にお世話になった先生を頼りに飯田高校を訪れました。
飯田高校・嶽桂輔教頭
「5月に地震があった時に一応ピンどめしとったから、(靴箱は)今回は倒れなくて済んだ。5月の時は全部倒れた」
平記者
「嶽先生、気持ちは大丈夫?」
嶽教頭
「大丈夫大丈夫」
平記者
「学校のすぐ近くの家って言っとったし。ずっと学校?」
嶽教頭
「1日の4時10分に(地震)があって、4時20分くらいからはずっと学校で詰めとる。きのうだけ夜、家で寝られた」

飯田高校は発災当日から住民の避難所になっていました。外観こそ形は残っているものの、校舎は至る所に亀裂が入っていました。