被災地では地震が起き、町全体が壊滅的な状況に陥っても、それでも、能登が好きで、この場所に居たいという思いを持つ人がいます。
大きな被害を受けた被災地の一つ、石川県能登町出身の平歩生記者のリポートです。

【地震発生当日】故郷に戻る道中 襲い掛かった揺れ

震度7の揺れを観測した1月1日午後4時10分。
私は能登町の実家に向かい、夫と車でのと里山海道を走っていました。

携帯の緊急地震速報が鳴り、急いで車を止めたのは震度7を観測した志賀町を通る徳田大津ICの近くでした。

地震発生当時 のと里山海道(1月1日)

その後、家族の安否が心配で何とか能登町に向かおうとしましたが、道路が陥没しすでに通れなくなっていました。
幸いにも当時実家にいた両親や兄弟など9人に全員けがはありませんでした。

私が記者として被災地へ取材に入ったのは震度7の地震の翌日。
母校・飯田高校のある珠洲市です。