ふたりの子供へ・・・最後の愛情

「巣鴨の父」と慕われた田嶋隆純教誨師

死刑の執行までは、スガモプリズンの二代目教誨師で、「巣鴨の父」と慕われた田嶋隆純氏が寄り添い、部屋を何度も訪ねていた。今回、死刑執行される7人のうち、松雄と成迫忠邦だけが下士官で、ほかの5人は将校だった。

<藤中松雄の遺書 妻ミツコヘ 1950年4月6日>
ここまで書いた時、伍長がリンゴ一個を持って来ました。これは昨夜、導師・田島先生がお出になった時、注文したものと思われます

昨夜、執行申渡しを受けて約四十分ほどして田島先生が私の部屋を訪れて下さり、同じ部屋の中で先生と三十分くらい話し合いました。その時先生が真っ先に口にされたのは、「藤中さん、本当に気の毒ですね。言葉もありません。貴方と成迫さんは他の人と立場も違い、残念ですね」と云われました・・・私が話した事は、あるいは(死刑執行を)宣告される時からの態度等は先生が詳しく真実を知らせて下さると思いますから略します。

横浜軍事法廷での藤中松雄 最上段左から3人目(1947年 米国立公文書館所蔵)

<藤中松雄の遺書 妻ミツコヘ 1950年4月6日>
そうして先生が何か食事について、特に欲しいものはありませんかと尋ねられましたが老いし父母上様、君や子の事を思ふと・・・察して下さい。それで出来ますならば何か果物をニ個お願い致します。私は食べたくはありませんが、二人子供に父として最後の愛情を注ぐ一片にでもなればと思い、お願いしたわけです。

先生の言葉で強く強く強く、私の心を打ちましたのは「お子さん方も可哀想ですね、しかし藤中さん心配しなさるな、出来る限り激励して上げます」と言われた事であります。その時、心から感謝致しました。

忘れないうちに書いて置きますが、田島先生、今井先生にくれぐれも宜敷くお礼を言ってください。それと書くべき処に忘れて書かなかったり、暇がなく書かずにいる事もありますから、君から宜敷く頼む。


今井先生とは、スガモプリズンの死刑囚たちを支援し、本の差し入れなどをしていた開業医で、のちに松雄の息子たち宛てに手紙を送っている。