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戦犯死刑囚 妻に宛てた遺書「悲しければ泣いて、泣いて、泣き通せ」でも「悲しさ、苦しさに溺れ、へこたれてはなりません」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#113

戦場に行った若者たち「お前の姉さんはもう嫁さんに行ったのか?」元戦犯死刑囚の思い出 面会に来た姉を好きだった人に重ねた下士官~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#112

生と死の狭間で スガモプリズン最後の処刑 直前で減刑された元死刑囚が執行された7名に捧げる追悼文~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#111

平和条約で「戦犯裁判を受諾」した日本 戦犯死刑囚の個人データを検証 現場を仕切った中尉”最後の短歌” 教誨師の遺品から~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#109

「死刑執行を申渡し」スガモプリズン最後の処刑 きら星の如く並ぶ米軍将校たちの中に教誨師の姿を見つけて~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#107

スガモプリズン最後の死刑執行 死刑囚の棟から連れ出される7人は平常心「笑顔でさよなら」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#106

スガモプリズンから最後の手紙 減刑される人あれば・・・残る7人は死刑確定「死刑囚棟にふたたび無常の嵐の気配」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#105

「『兵隊さん水』とかすかに言うけど『頑張って』という以外なかった」 原爆投下から80年 17歳の時、広島で被爆した伊藤宣夫さん 岩手・遠野市





