スガモプリズン最後の死刑執行で命を絶たれた一人、山形市出身の幕田稔大尉。海軍の特攻・震洋隊の隊長だった幕田は1945年4月、撃墜した米軍機の搭乗員3人を殺害した石垣島事件で一人目の斬首役に指名された。幕田の生家に残された文書の中に、事件の1か月前、幕田の隊で起きた事故の責任を問い、懲戒を言い渡された文書があった。12隻を焼失したその事故とはー。
海軍の水上特攻「震洋隊」
幕田稔大尉は1945年4月の事件当時は26歳だった。剣道の達人で、石垣島警備隊付の第二十三震洋隊の隊長として任務に就いていた時に、警備隊司令の井上乙彦大佐から米軍機搭乗員の一人を斬首するよう命令されて事件に関わり、戦後、戦犯に問われた。
「特攻 最後の証言」(「特攻 最後の証言」制作委員会 2013年文藝春秋)によると、海軍の水上特攻艇が「震洋」であり、モーターボートの艇首に250キロの爆装をし、夜陰に乗じ集団をもって奇襲、体当たり攻撃により敵上陸部隊の艦船を集結地点において撃沈せしめることを目的とした。隊員たちは、川棚基地(長崎県)などの魚雷艇訓練所で教育の後、配属された。水上を走行するときは木製、それもベニヤのほうが軽くて良く、さらに重ね合わせることにより強度が増すという構造上の利点があり、トヨタ自動車の中古エンジンを流用して搭載できたことから、戦況が悪化するにつれ生産が行き詰った特攻艇が多かった中、終戦まで6200隻が進水した。震洋の戦没者は推定で1322名を数えるという。
















