スガモプリズン最後の死刑執行となった石垣島事件の7人。1950年4月7日執行の知らせは関係者に伝わった。28歳で命を絶たれた藤中松雄の家からは詳細を問い合わせる電報が教誨師の元へ届いた。31歳で将来を期待されていた特攻隊長の母の元には、担当弁護士からお悔やみの手紙が送られていた。「とうとう駄目でした」無念が綴られた弁護士の手紙に書かれていたのはー。

教誨師へ送られた電報

石垣島事件を裁いた横浜軍事法廷 最後列左から三番目が藤中松雄一等兵曹 前列左端が井上乙彦大佐 その右横が井上勝太郎大尉(1947年 米国立公文書館所蔵)

「新聞史料にみる東京裁判・BC級裁判 編集毎日新聞政治部 第2巻」(現代史料出版)には、朝日新聞が「7名の絞首刑執行」の見出しで1950年4月8日に報じたことが記載されている。その4月8日の日付が入った電報が、執行まで寄り添った田嶋隆純教誨師の遺品の中から見つかった。

「タジマリウジユン殿
フジナカシヨケイシル シサイヘンマツ フジナカ」


福岡に住む藤中松雄の家族が、田嶋教誨師に詳しいことを問い合わせた電報だ。スガモプリズンではしばらく死刑執行はなかったので、突然の知らせにどんなに驚き、嘆き悲しんだことか。