若くして亡くなった日本兵への思い
スーザさん:
「(日本兵は)若いときに、国の命令とはいえ20歳ぐらいで命を落としているので。家族としてはくやしさ、もったいない、その気持ちで行っています」
旧ビルマ、いまのミャンマーからおよそ470キロを行軍しインド・インパールを目指した「インパール作戦」。無謀な作戦の末3万人もの犠牲者を出しその退路は「白骨街道」とも呼ばれました。

また1942年8月、ソロモン諸島のガダルカナル島では日本軍はおよそ3万人の兵力を投じたものの、飢えやマラリアなどにより2万人以上が亡くなりました。
現地に残された遺骨はいまも数多くあり、スーザさんはその遺族らと慰霊の旅を続けてきました。

スーザさん:
「(ガダルカナル島の戦いに加わった)第2師団は宮城出身者が多い。慰霊についてはどなたよりも深い愛情を持っている。日本の中で一番といえるだけの数を行ってきていると思う」