◆証言前につくられた弁護資料

国立公文書館で見る事ができる資料は、原本をコピーしたものが多い。そのため、字が薄くて読めないものもある。炭床兵曹長の弁護資料と書かれた文書は、コピーをさらにコピーしたようなもので、かなり読みにくい。判読不明の部分があるのをご容赦いただきたい。
日付は、「昭和23年1月8日」とかろうじて読めるくらいだ。炭床兵曹長は、およそ1ヶ月後の2月12日に証言台に立っている。その日は、弁護側から証拠の口述書が提出され、朗読されたあとに、検事の反対尋問に炭床兵曹長が答えている。この弁護資料には、線がひかれたり、省略する部分が示されたりしているので、口述書の下書きではないかと思われる。
内容は次の通りだ。
◆自己の意志によって行動せず
起訴状の罪状項目について申し述べます。
1、「共同意志を以て」という部分について私は昭和20年(1945年)4月中旬のある日、正午頃、3人の連合軍飛行士を捕らえた事を知り、同日午後2時頃、防空壕の前で尋問しているのを見ました。同日夕食後、すぐ2人の戦死者の火葬の為、作業員と共に火葬場に行っておりました。午後8時頃、約300メートル離れた野原に灯火があるのに気付いて、1名の作業員をやって調べさせた所、飛行士を処刑するので穴を掘っていると云いましたので、その時初めて飛行士処刑の事を知りました。午後9時過ぎ頃、本部より伝令が来て、「飛行士を処刑するから皆行け」といいましたから、現場に行きました。現場では指揮官、榎本中尉の命令により行動し、又飛行士処刑もいつ決定したかも知りません。故に自己の意志によって行動していません。