沖縄戦を体験した人やその意思を継ぐ人、それぞれの思いをシリーズでつなぐ「#あなたの623」。

沖縄戦を生き抜きハワイに送られた、渡口彦信(とぐち・ひこしん)さんが、1年半にもおよぶ現地での捕虜生活を語りました。(後編)

渡口彦信さん、99歳。18歳で徴兵され、高射砲部隊に配属されました。糸満市摩文仁の海岸でアメリカ軍の捕虜となり、金武町にあった屋嘉収容所へ送られました。

渡口彦信さん
「衰弱して、飯もあまり食べていないし、寝てもないしね。だから、そのような状態の中で結局はトラックに乗せられて、嘉手納まで」

嘉手納町の海岸。80年前、渡口さんはこの場所から上陸用舟艇に乗せられました。

「どこに行くかも告げられないで、そのまま上陸用舟艇に乗せられて。上陸用舟艇でずっと沖に行って。大きな貨物船があったんだね。この貨物船に移れっていうんだ」

およそ20日間の航海の後、たどり着いたのは沖縄から7500キロも離れたハワイ。当時、沖縄から3000人あまりの捕虜が強制的に送り込まれました。

「収容所まではトラックに乗せられていって。向こうに行ったら、大きな袋があって。それに日用品とか、衣類関係とか全部入っていて」

渡口さんはいくつかの収容所を転々としながら、ごみ拾いのほか洗濯工場で働きました。1945年8月半ば、仕事の休憩中に、戦争はアメリカが勝利したと知らされました。