1948年3月16日。横浜軍事法廷で、石垣島事件でBC級戦犯に問われた元日本兵たちに、判決が宣告された。結果は41人に死刑。弁護人のうち、アメリカ人の女性弁護士は泣き伏したという。この状況を日本人の弁護人はどうみたのか。金井重夫弁護士が意見書を遺していた―。

◆石垣島事件の判決に関する意見

国立公文書館のファイルにあった文書

国立公文書館のファイルの中にあった、「石垣島事件の判決関する意見」という文書。名前代わりに「金井」の印鑑が押してある。東京都在住の金井重夫弁護士だ。「日本政府」の文字が入った用紙に書かれている。
(注・わかりにくいところは一部表現を変えた)

◆証拠隠滅は国民全部の共同責任

(石垣島事件の判決関する意見)
昭和20年(1945年)4月半ば頃、石垣島警備隊が、同島を空襲して捕えられた連合軍の飛行機搭乗員3名を逮捕し、その日の夜11時頃、同隊員の手により殺害した。殺害するにあたり、内2名は士官2名が斬首し、他の1名は多数の士官、下士官及び兵が、銃剣で突刺した。それに加えて、終戦後この死体を発掘し火葬に附し、骨を海中に投棄して証拠の隠滅をはかったことは事実であり、この事実が国際法規に違反し非難せられねばならぬものであることについては、何人も異存は無い。我々としては、それを単に関係者のみの責任と考えず、国民全部の共同の責任と考え、被告人と共に深く反省、悔悟している。

石垣島事件では、証拠隠滅のために、戦後になって遺体を掘り起こして燃やした上、海に投棄している。それについて金井弁護士は、「国民全部の共同の責任と考える」と述べ、自らも反省、悔悟している。