◆「今日中に銃剣で刺突したと云え」

(二等兵曹:第二回取り調べ)
「同年9月15日から24日まで、東京の総司令部法務局に於いて、二人の検事の取り調べを受けたが、何の拷問も強迫も受けなかった。ところが、25日に又、前記ダイヤーと山口通訳が現れ、いきなり私が腰掛けている椅子を蹴飛ばして、顔を殴りつけ、『是非、今日中に俘虜を銃剣で刺突したと言え』と迫った。私はついに真実を曲げて処刑に参加したと言い、一生の不覚をとってしまったのであった」
この二等兵曹は、捕虜を現場に輸送し、処刑の現場には居たが、懐中電灯を手にして必要なところに照らしていたので、銃も所持せず、刺突には参加していなかった。しかし、執拗に「処刑に参加した」という調書への署名を迫られたという。暴行したかと思えば、甘言をもって誘導しようとする場面もあった。
◆虚偽の処刑参加を自白

(ダイヤー調査官)
「君が処刑に参加したという陳述書を書いて署名すれば、今日の夕方は家に帰してやる。そして後日裁判が行われたら、単に証人で呼び出すかもしれぬ。しかし、もし『処刑に参加していない』という陳述書を君が書けば、巣鴨拘置所に入れて『処刑に参加しました』と書くまでは拘置所から出さぬ。君はどちらを選ぶか」
結局、総司令部法務局に通うこと15日間、4度も「自分は処刑に参加しておらず、何もしていない」という陳述書を書き上げたものの、どれも破って捨てられ、受け付けてもらえず、仕方なく最後には「虚偽の処刑参加」を自白した形で署名させられたという。この二等兵曹は、1審で絞首刑を宣告され、約1年後、重労働20年に減刑された。1954年12月に仮出所している。