「みんな元気で帰ろう」帰国後に待ち受けていた現実

(シベリアに抑留された 市川輝子さん)「みんな『元気で帰ろう、帰ろう』と言ってね。岡山なら岡山に元気に帰ろうと」

「『湯郷だったら温泉があるが』と言って、『帰ったら僕のところに来りゃええが』と言ったりしてね」

市川さんたちは約2年後帰国を果たしましたが、故郷に戻っても「ソ連兵に強姦されたのでは」といういわれのない言葉を投げかけられました。


(シベリアに抑留された 市川輝子さん)「『そんなバカなことがあるか』と思って」

「『誰がそんなこと言っとったん』と文句を言いに行く。『誰かがそういうことをしているのを見て帰っているのか』と。『その人のところへ連れて行ってちょうだい』と。向こうの人は何も言わなくなる」

「『そういうことがあったんじゃないか』ということが大きくなったんじゃろう…」

戦後78年を迎え、事実を語れる人が減りつつあります。

(シベリアに抑留された 市川輝子さん)「忘れはせんけど…70何年経っているということは、ほとんど死んだな。私が生きているけど、岡山では私と…」

「日赤の看護師さんは全員死んだし…」

「戦争はしたらダメ。戦争をしていいことはない。お互い、負けた国も勝った国もよくない」

「平和に、世界中が平和にいけたらどこの家も幸せじゃ」

二度と悲惨な歴史が繰り返されないために、市川さんが伝えたいこととは。

(シベリアに抑留された 市川輝子さん)「人によくすること。よその人が困っていたら、ちょっとでも助けてあげようかという気持ちがあるといいよね」

「シベリアではお互い困っていたから、ちょっとでも助けたら皆喜んで。それを見てきたから」

「皆仲良く、お互い助け合っていく人生がいい」