1980年代という時代は、日本のあちこちで「地方博」が開かれていた時代でした。面白かった?いえ、あまり記憶に残ってない…。そこには高度成長の成功体験とバブル期の過剰な楽観、そして制度的なユルさが複雑に絡み合っていました。
(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
バブルに向かって地方博もイケイケ
発端となったのは、1981年に開催された「神戸ポートピア博覧会」です。人工島ポートアイランドを舞台にしたこの博覧会は、最先端技術、未来都市、ウォーターフロント開発という当時としては新鮮な要素を揃え、約1600万もの人を動員しました。
2匹目のドジョウをねらえ?
この成功を見た全国の自治体は、「うちでも博覧会をやろう」と一斉に動き出します。
期待に輪をかけたのが1985年の『国際科学技術博覧会(つくば科学万博)』でした。
つくば万博が、国主導で開催され成功を収めると、科学、未来、情報といったテーマは“使い回し可能な記号”となり、地方博にも大量に輸入されていきました。
こうして80年代中盤以降、日本列島は「未来」「夢」「人と自然」を掲げる博覧会で埋め尽くされていきます。














