自宅に無言で帰宅した息子に「ごめんなとしか言えず、それが精一杯だった」
将太さんは、事件の翌日、7時間にも及ぶ司法解剖を終え、自宅へ無言で戻ってきました。上半身は包帯で覆われ、顔と手首から先しか出ていない状態だった将太さん。縛られていた包帯を外すなどして、家族らは一晩中、将太さんに寄り添い続けたと振り返ります。
「リビングの真ん中に敷いた布団に息子を寝かせたときに、私は初めて涙が出ました。もう心の中では『将太おかえり。痛かったな、怖かったよな、苦しかったな、辛かったよな』と色々な思いを持っていたんですけど、『お父さんはお前を守ってやれんかった、ごめんな』、それも言葉にならずに『ごめんな』としか言えませんでした。それが精一杯でした」
静かに眠る将太さんを前に敏さんは当時、次のように思ったと話します。
「(将太さんの)手を握って温もりを伝えたら、指を動かしてくれるんじゃないかと。頬を温めたら、にこっと笑ってくれるんじゃないのかと。手や顔をなでたりさすったりしながら一晩中話しかけました。しかしそれは叶いませんでした。触った時は生きている時の温もりはもうなくて、触った瞬間にドキッとする独特の冷たさだけが伝わってきました。この夜が、私達家族が息子の死というもの、将太の死というものを受け入れさせられた時間だったのかなと思います」