その後、日本兵は武装解除が行われ、旧ソ連軍の捕虜となります。
神田勝郎さんの父・正平さんの残した手記には、捕虜となってから劣悪な環境だったことが記されています。

『2ヶ月、もちろん風呂や水浴等も全然なく、汗とアカにまみれ、しかも兵隊全員が虱(シラミ)の発生で悩み続けておった…』
さらには、過酷な労働を強いられる中で与えられる食料も常に不足していました。
そのようななかで、大晦日の夕飯についても記してあります。
『一日の重労働を終えて晩めしを楽しみに帰ったところ、当日は黒パンの配給なしであった。おかげで歳夜の晩は馬鈴薯の煮たもの2つが夕食のご馳走であった。このことは一生忘れる事はできない』

【神田勝郎さん】
「そういう目に遭うなんてのは、もう想像を絶することですよね。これ読んでても本当にジーンときましたよ」