◆力不足のブライフィールド嬢の弁護

<嘆願書>

検事側証人に対する反対訊問の拙さは、私共を憤慨させるものでした。殊に同月26日弁護側の反証段階に入った日、彼女の弁護側証人に対する訊問の拙劣さは、私どもをして我慢できぬ不満を感ぜしめました。私どもこのまま審理が進行することの危険を痛感し、全被告人の同意を得て、同日再び、弁護団長を訪れ、被告人ら及び私どもの不満を述べ、ジョセフ・ジー・ワイマン氏の復帰を求めましたが、聞き入れられず、それならば同氏は法廷外でこの事件の弁護に協力することを許されたいと願いましたが、これも許容されませんでした。

同年2月2日法廷に姿を見せなかったハロルド・キンゼル少佐は以後、同月20日迄、病気の為欠席するに至り、同月11日よりウィリアム・マルチン少佐が、法廷に列席するに至りましたが、彼は中途から事件に関係されたので、弁護に力を発揮する機会がありませんでした。

横浜軍事法廷がひらかれた横浜地方裁判所(米国立公文書館所蔵)

◆証言台にも立てず、困惑した被告たち

主任弁護人になれる正式な資格も持たぬまま、主役として弁護活動したブライフィールド嬢だったが、日本人の弁護人4人は、その拙さと意見を聞かない態度に不満を抱いた。

<嘆願書>

同日24日、ハロルド・キンゼル少佐が再び法廷に現われるに至り、その後、三人が顧問弁護人として在廷しましたが、終始主役を勤めたのは、ルース・ブライフィールド嬢でありました。

しかも、私どもの意見は用いられぬことが度々であり、被告人の中には証言台に立ちたいと主張する者があるに拘わらず、これを許容せず、もしそれを強く主張するならば顧問弁護人を辞すると言って、被告人らを困惑させ、陳述の機会を奪いました。