石垣島事件の法廷写真に写る姿が確認された炭床静男兵曹長。鹿児島に住む遺族のもとへ、戦犯裁判の資料を携えて、取材に向かった。一審で死刑となり、その後、重労働40年に減刑。約10年をスガモプリズンで過ごした炭床静男は、その後、どんな人生を送ったのかー。

◆写真を準備して取材へ

判決時の炭床静男兵曹長(米国立公文書館所蔵)

炭床静男の三男の浩さんからお電話をいただいた後、お約束した取材日までは、ひと月ほど時間があった。新型コロナウイルスの流行中で県外への出張は上司の許可がいるような時期だった。感染防止で取材にお邪魔する時間も長くはとれないルールがあったので、裁判資料以外の歌集などの資料は事前にお送りして、逆に浩さんには古い写真をお送りいただき、集合写真を拡大するなどして準備をした。浩さんの10歳年上の兄、次男の健二さんも取材に応じていただけるとのことだった。

2021年2月、鹿児島市にある健二さんのお宅にお邪魔した。炭床静男の次男、健二さんは当時73歳、元警察官だ。三男の浩さんは当時63歳。地元の建設会社の役員だった。浩さんの3歳下には四男の修さんがいて、実家で父親を介護して、最後まで看取ったという。炭床静男は、1994年4月20日、78歳で亡くなっていた。

◆家出せし妻・・・真相は

次男・健二さんと三男・浩さん

家族関係をお伺いするときに、気になっていることがあった。歌集「巣鴨」に炭床兵曹長は、「妻」という題で4首を載せている。

久しぶりの弟の便りは吾が妻の家出記しぬただ簡単に

家出せし妻の心をおし計りおし計りつつ夜は更けゆきぬ

(「歌集巣鴨」巣鴨短歌会1953年)


戦犯に関する資料を見ていくと、「スガモプリズンに囚われている間に妻が家を出て行った、離婚になった」という話があったので、この歌を見た時に、もしや炭床家でもそういうことがあったのかと気になっていた。次男の健二さんは収監される前に授かったお子さんで、10歳下の三男、浩さんは、帰ってきてから生まれたお子さんだ。異母兄弟という可能性もあるのかと恐る恐る聞いてみると、お二人は明るく笑って、「姑が厳しくて大変だったからですね。母は一人娘でしたし、歩ける距離の実家に帰ったんでしょう。ほんとに家を出てもおかしくないくらいの厳しいお祖母ちゃんで、まあ大変でしたよ」ということだったので、ほっとした。