20年越しに明かされた「裁判で嘘の証言をしてしまった」
1967年、ジャニー氏の性加害を否定し「覚えていない」などと証言した初代「ジャニーズ」のメンバーたち。結局、東京地裁は「証拠がない」として性加害を認定しなかったという。

ところが20年以上が経ち、メンバーの1人、中谷良さんは出版した本(「ジャニーズの逆襲」)の中で裁判をこう振り返った。
「事前に答弁の言葉は決められていました。今だからこそ言える、いや、言わなくてはならない。私は裁判で嘘の証言をしてしまいました」
この裁判には秋本さんも証人として出廷し、自分も被害を受けそうになったと証言した。中谷さんが証言を覆していたことについては…
膳場キャスター「あの裁判での証言、答弁の言葉は決められていた、嘘だったと書いています。これをどう思いますか?」

秋本勇蔵さん(79)
「あのジャニー氏についている限りは……しょうがないな」
膳場キャスター「しょうがない感じですか…」
秋本勇蔵さん(79)
「ジャニーさんについていけば、有名になれるんだという風潮があったみたいですから。訴えたって取り上げられないし、ただ問題になるだけで……ちょっと悔しい思いですよね」
性被害証言の最後に…「ジャニーさん、長生きして頑張って下さい」
新芸能学院の裁判から約20年が経った、1988年。ジャニーズグループ「フォーリーブス」の北公次氏が、ジャニー氏から受けたという性被害を赤裸々に綴った本「光GENJIへ」を出版した。
これを機に、元所属タレントたちが次々に告白本を出した。
そして1999年10月から、「週刊文春」が14週にわたって、ジャニー氏にセクハラ行為があったなどとするキャンペーン記事を連載。これに対し、事務所とジャニー氏は、発行元の「文藝春秋社」を名誉棄損で提訴した。
証人尋問には週刊文春側の証人として、元ジャニーズジュニアのAさんとBさん2人が出廷。ジャニー氏との間に、ついたてが置かれ、まずAさんが証言した。

文春側の弁護士「ジャニーズ事務所に入ったのは何歳のときか覚えてますか」
Aさん「15歳のときです」
被告弁「学年でいうと」
Aさん「中学3年生です」
このあとAさんは、性被害について詳細に証言した。そして最後に。
Aさん「ジャニーズ事務所にいたことは、ものすごく楽しくて、いい思い出がいっぱいあって、よかったと思っているし、僕はこれから何するか分からないですけれども、ジャニーさん、長生きして頑張って下さい」
続いて、ジャニー氏の尋問が行われた。

















