ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題については、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判で取り上げられてきました。それなのになぜ、被害は止められなかったのか。メディアの姿勢を含め、検証します。

当時30歳のジャニー氏が…「何人かでグループを作りたいと」

少年たちへの性加害。疑惑の目が向けられたのは今から60年も前のことだ。その原点を知る人物が取材に応じた。


秋本勇蔵さん、79歳。 演歌歌手として今も現役で活動しながら、都内でカラオケ教室を開いている。秋本さんがジャニー喜多川氏と出会ったのは、ジャニーズ事務所ができる前の1962年。


当時18歳だった秋本さんは、東京・豊島区にあった「新芸能学院」に住み込み、歌を学んでいた。当時の写真を見ると…

秋本勇蔵さん(79)
「ああ懐かしいですね。ここが入り口で入ったらすぐレッスン場。ピアノが5台あって」


そこに、経営者の名和太郎氏と繋がりのあった当時30歳のジャニー氏が出入りしていたという。

膳場貴子キャスター「どんな印象でしたか?」

秋本勇蔵さん(79)「いや別に、特に挨拶をかわさなかったし。(ジャニー氏は)名和さんに『僕は少年野球チームをやっているから、何人かでグループを作りたいんだ』と」

ギネスにも認定されたヒットメーカー、ジャニー氏。そのスタートは、自身が作った野球チームの少年たちを「新芸能学院」に連れていったことだった。

後にデビューした4人組グループ、初代「ジャニーズ」だ。

「3畳の部屋で寝ていたら、布団に入ってくる人が」

同世代だった彼らと共に、泊まり込みでレッスンに励んでいた秋本さん。1人で寝ていた、ある夜のことだった。

秋本勇蔵さん(79)
「3畳の部屋に寝ていたら、布団に入ってくる人がいて。僕は体を触られるのがすごく嫌なタイプなので『何するんだ』と蹴飛ばして騒いで。もうジャニーさんはビックリして…その程度しか覚えていないですね」


秋本さんは被害を免れたが、被害にあった少年は他にもいたと名和社長から聞いた。名和社長は怒り、ジャニー氏を追い出そうとしたという。

ジャニー氏は「ジャニーズ」の4人を引き連れて、独立したという。その後、金銭問題をめぐる裁判に発展。ジャニー氏の性加害についても取り上げられ、一部の週刊誌で報じられた。


それによると、1967年、東京地裁で行われた証人尋問には当時、人気絶頂だった「ジャニーズ」の4人も出廷した。

4人は性被害を否定した。
「覚えてません」