秘密を背負って生きてきた

家で薬を飲む母親に、何の病気かと尋ねたことがある。その時から秘密を背負ったと、黄さんは語る。

(黄 光男さん)
「2人きりしかいないのに、誰に聞かれるはずもないのに、母親が急に声を潜めるんですよ。それまで普通にしゃべっていたのが。で、『ハンセン病や』って、声を潜めて言った。それがね、強烈にね、記憶に残っているんですよ。

母親から『この病気の名前を人に言ったらだめよ』なんて説明は一切ないですよ。説明は一切ないけど、その仕草で、言ってはいけないということを思わせるような。気持ちがもうグサリときましたね。それをずっと固く誓ったみたいな形で。誰にも語らないということをね」

在日朝鮮人であることを隠さずに生きてきた黄さんだが、家族がハンセン病療養所にいたことは、妻にさえしばらく話せなかった。

家族が隔離された経緯を確かめようとした黄さん。生まれた時に住んでいた大阪府に情報公開を請求した。すると、母親の患者台帳にこんな記録が残っていた。

(黄 光男さん)
「『母娘に対し、強力に入所を勧奨』…強力に入所勧奨って何や?どんな風に説得した?言葉として。それを知りたいな、やっぱりな」

黄さんの母親は、16年前、マンションから飛び降り自ら命を絶った。その後、父親も同じく飛び降り自殺した。

(黄 光男さん)
「普通だったら、普通の親子関係だったら、不慮の事故みたいなもんだから…(ながい沈黙があって)…涙があふれただろうと思うんですけど、それが出なかった。呆然と見ていた自分がいたんです。

この母親はなんと悲しい人生で終わったのか。…(再び長い沈黙)…それを思い返すと、その時のことを思い返すと、本当の親子関係って実はできていなかった、ということを思いなおされた。その瞬間だったですね」