ハンセン病療養所内にあった保育所
長島愛生園で撮られた貴重な映像がある。ハンセン病療養所には、かつて保育所が設けられていた。親がハンセン病だったために連れて来られた子供たち。将来感染の恐れがある「未感染児童」として監視の対象とされた。
家族訴訟の原告の男性が、収容された当時のことを語ってくれた。
(家族訴訟原告の男性)
「一部屋4畳半か6畳くらいのところにみんながいて、上の妹は児童棟、宿舎にいましたから。私がいる部屋に妹が2人そろってよく来ていました。来てめそめそ泣いていたと思うんです。私ももらい泣きした覚えがあるんですけど」
男性は、昭和22年、父親の隔離に伴い長島に連れて来られた。2人の妹も一緒だった。未感染児童を収容した「愛生保育所」は昭和6年から昭和30年まで設けられ、あわせて242人が収容された。学校への通学は認められず、勉強は園内で教わった。
父親がいた「患者地帯」と保育所があった「職員地帯」は行き来が制限され、親子が会うこともままならなかった。
父親の肉声が残っている。
(男性の父親)
「子どもたちは病気ではございませんので、入園と同時に職員地帯にございました保育所でお世話になりました。子どもたちの苦労を考えますと、どんな苦しみにも耐えなければと自らを励まして耐えることができました」














