戦後80年、言論と思想の弾圧によって日本が戦争に突き進んで行った背景を考えます。ちょうど100年前に制定された「治安維持法」で、若い女性たちも弾圧されました。なぜ女性たちは激しい拷問にさらされたのでしょうか?
「いつぶち殺しても構わんぞ」迫害を受けた“戦争に反対した若者たち”
高知県にある「高知市立自由民権記念館」で、7月に行われた「戦争と平和を考える資料展」。そこでは、「戦争に反対した高知の若者たち」という展示があった。
草の家 岡村正弘 名誉館長(88)
「当時20歳前後の、若い人たちが中心です」

一角を埋め尽くしていたのは、戦争に反対した高知県の若者たちの写真だ。
戦前から終戦にかけて、高知では130人を超す若者たちが検挙や投獄に屈することなく反戦運動を行っていた。当時彼らが、いかに酷い目に遭っていたのか名誉館長はこう話す。

草の家 岡村名誉館長(88)
「『いつぶち殺しても構わんぞ』ということで。かなり長期にわたって、肉体的な迫害を受けながら亡くなった人も何人かおります」
日下部正樹キャスター
「ここにいる人たちも、非国民みたいな後ろ指を指されたりしたんですか」
草の家 岡村名誉館長(88)
「『名前を挙げんとってくれ』という遺族もいる」
訪れていた小学生は…

小学生
「こんなにたくさんの人がいたのは初めて知りました。拷問されて、若い命がなくなるのは非常に悲しい」
草の家 岡村名誉館長(88)
「あの戦争に反対した人がいたこと自体が知られていない。この人たちの死、戦いを無駄にしない、それを引き継いで頑張る」