(鹿児島玉龍高校1年 畠中日和子さん・朗読)『永らくの間、無音にうち過ぎ、甚だ申し訳ありません。御許し下さい。』

鹿児島玉龍高校1年の畠中日和子さん。朗読しているのは、鹿児島市出身の加覧幸男少尉が書いた手紙です。

戦況が悪化した太平洋戦争末期。敵艦に体当たりする「特攻作戦」が決行され、加覧少尉ら4000人近くが命を落としました。

朗読会の1週間前。畠中さんは、加覧少尉が出撃した旧陸軍の飛行場跡地に立つ、万世特攻平和祈念館を訪ねました。

「昭和20年3月に特攻が決まった(出撃までの)時間がわずか1週間しかなかった」

1945年4月6日、19歳で出撃した加覧少尉。万世飛行場は特攻作戦の最前線の1つで、121人が沖縄へ出撃しました。

(鹿児島玉龍高校1年 畠中日和子さん・15)「国を守るため、家族を守るために飛んで行った。悲しい」