深夜に突然…沈む船からの脱出

11月1日、日本に帰るため船がミリを出ます。

大矢秀二さん
「午前0時だから寝ていた」

大矢さんが蒸し風呂のような船室を逃れ、甲板で寝ていた、その時でした。

11月3日、ミリの北西350キロ付近。敵・魚雷が命中します。魚雷が当たったのは、油を満載した倉庫でした。

大矢秀二さん
「『魚雷だ!』って先輩に言われて、ドーン!でおしまい。油と海水と一緒にぶわーっと水柱をまともに受けちゃって。あれだけは絶対に忘れない。呼吸できない」

傾く船から何とか逃げ出そうとする大矢さん。

大矢秀二さん
「一所懸命、高いところに…船の先端半分は水に浸かっているから、船が斜めになっている。船尾は海面から10メートル以上浮いていた。そこに縄はしごをかけて、ボートを下ろして、ボートに移って船から離れた」

真夜中の海で目にしたものは、大明丸が沈んでいく光景でした。

綾瀬はるかさん
「どんな気持ちになるんですか」

大矢秀二さん
「何も考えずに、ただ呆然と見ていた」

船長を含む船員3人と、ミリから乗り込んだ民間人31人が亡くなりました。

大矢さんが日本に戻ったのは翌年の1945年1月、15歳の冬でした。

綾瀬はるかさん
「日本に着いた時はどんな気持ちでしたか」

大矢秀二さん
「そりゃうれしいですよ」

綾瀬はるかさん
「当時、攻撃された出来事は今もしっかり覚えていますか」

大矢秀二さん
「やられたときのことは全部覚えているよ。体で覚えちゃっている」

軍は、戦時徴用船に満足な護衛などつけませんでした。

「戦没した船と海員の資料館」大井田孝さん
「油を持って帰ってくればいいじゃないか。その間どうやって持って帰ってくるんだ、それが抜けている。人の命を疎かにする考え方、それがまん延しすぎたんじゃないかなと」

犠牲となった船の中には、数多くの漁船も含まれています。