大月空襲があったのは終戦2日前の8月13日でした。

61人が犠牲になり死者のうち30人は都留高等女学校と旧制・都留中学校の生徒でした。

松島直輝アナウンサー:
「ここは、何があった場所にになりますか?」



清水昭伯さん:
「ここが興亜航空だとすればね、この向こうが防空壕があったところのはずなんですけども、全く当時の面影が見えないですね」

清水さんは当時、勤労奉仕で輸送機の翼を造る仕事をしていました。
79年前の8月13日朝から工場で仕事の準備をしていたところ、空襲警報が鳴り響きます。

清水昭伯さん:
「空襲警報が入りましてね、いつものことでちょうど具合がいいと。(友だちと)きょうはちょうどいいから下宿を見に行こうと。それで町へ出たの」