見慣れた日常を吹き飛ばした突然の空襲。

衝撃的な光景に清水さんは逃げる気力をふり絞って桂川近くの林に向かい、夕方まで身を隠しました。

大月市内には数十発以上の爆弾の雨が降り注いだとされています。

爆弾の破片の一部は今も大月市にある郷土資料館で保管されています。



松島アナウンサー:
「(いきなりだと)何することもできないですよね。抵抗も。今の時代生きていると(日本では)全然ですけど、これが飛んでくる時代っていうととんでもないなと思います」

大月空襲の犠牲者には清水さんと仲が良かった同級生なども含まれていました。

清水昭伯さん:
「(友だちが亡くなって)悲しいって思えばいいんですけど、そんな気持ちすらなくって。ただただ、ぼーっとしていた」

空襲から2日後、日本は終戦を迎えました。



清水さんは戦争の悲惨さを若い世代へ伝えるため、地元の高校生に戦争の体験を話し大月空襲の展示企画にも関わっています。

清水さんには平和を願う強い思いがあります。

松島アナウンサー:
「戦争を知らない世代に向けて何かメッセージなどがあれば教えていただきたいです」



清水昭伯さん:
「戦争なんてのは絶対ダメだ。それに尽きると思います」

清水さんはこれからも、戦争の悲惨さを伝えるため平和への思いを投げかけ続けます。