手がかりは地元警防団・副団長の“日記”

 西岡さんはその位置を突き止めようと、当時の資料などをあたってきました。目をつけたのが、地元の警防団の副団長だった男性の日記でした。模擬原爆が神戸に投下された7月24日の欄には、次のような記述があります。

 『編隊は波状的に近畿に入り当市にも製鋼所付近および北方山中に投弾』

 記述をヒントに、終戦直後に撮られた航空写真を確認したところ、製鋼所の北に位置する摩耶山の山中に地面がむき出しになっている場所を見つけました。模擬原爆が落とされたのは摩耶山ではないのか…。