「生きていてよかった」駆け抜けた70年

「理容ハコイシ」

なんとか生計を立てるべく、戦後母子福祉金を借り、ふるさとの那珂川町で新たな理容店兼住宅を建てた。戦後は資材も不足し、屋根からは雨漏りがした。畑を買って、野菜も自分で作った。

ある時、息子が特大のジャガイモを掘った。「お母さん、こんなにでっかいよ!」

息子の弾ける笑顔を見た箱石さんは、初めて「あのとき死なないで良かったね」と言った。息子は「うん」とだけ返事し、あとは2人とも言葉が出なかった。

それから約70年の月日が流れた。箱石さんは「海越え山越え、今、やっと落ち着きました」と語る。

二郎さんの写真に話しかけるシツイさん

寝室の壁に飾られた、夫・二郎さんの写真。

「なんとか頑張っていますよ」。箱石さんは時折、二郎さんの写真に、こう語りかけている。

100歳を超えても現役で仕事を続け、健康維持に取り組んでいる箱石さん。2021年東京五輪では栃木県内最高齢の聖火ランナーに抜擢され、その出発前にも「きょうは大仕事。頑張りますよ」と手を合わせ、報告した。

箱石さんは最高齢の聖火ランナーとして雨の中走り抜いた

「戦地に赴いた人も、偉い人も、そうでない人も皆苦しんだ。そして私のように、残された女性や子どもたちも、皆つらい思いをした。そんな時代がこれからずっと、来なけりゃいいね」妻として、母として、戦禍を生き抜いた箱石さんは、そう願っている。

「戦争だけは、二度とやるもんじゃない。絶対に」

(TBSテレビ報道局記者・柏木理沙)

挿絵:画家・根本真一(箱石さんの記憶をもとに描画)