79年前、太平洋戦争末期の9日、宮城県内各地で空襲があったことをご存じでしょうか。美里町の小牛田地区では20人以上が亡くなったと言われています。あまり知られていないこの「小牛田空襲」を体験した男性が当時の様子を証言してくれました。

空襲の伝承活動を行う男性

美里町小牛田地区に住む沖田捷夫(かつお)さん(79)です。

沖田捷夫さん:
「ここが小牛田駅の構内で80年前よりは少し狭くなったかな。もっと広かったですね。小牛田は交通の要衝で戦時中、集中的に狙われたんですね」

79年前、地元で起きた「小牛田空襲」について10年以上、独自に調査・研究しています。

沖田捷夫さん:
「こっちとこっちの両端に燃料タンクと石炭を積むところがあって、そこも集中的に狙われて爆撃された。それから車庫の向こう側に(民家が)2軒あって、流れ弾があたって4人ずつの家族が即死ですよ」

1945年8月9日と10日、小牛田にアメリカ軍の戦闘機が襲来。爆撃などに巻き込まれて、住民など20人以上が死亡したとみられています。交通の要だった小牛田駅が狙われたと言われていますが、詳しい実態はあまり知られていません。