◆東海軍「下士官以下は実質的に無罪」

東海軍が捕虜を殺害した現場(愛知県瀬戸市赤津町・国立公文書館所蔵)

また、東海軍のケースでは、1945年5月下旬から1ヶ月ほどの間に、27人の米軍機搭乗員を斬首して処刑し、司令官の中将以下20人が起訴された。

「判決では司令官だけが絞首刑になったが、参謀など将校は終身刑から15年、処刑を実行した下士官と兵13人は10年の重労働になった。ただし下士官と兵13人は服役が免除されたので、ただちに釈放された。つまり命令に従って処刑を行った下士官以下は形式的には有罪であるが、実質的には無罪と同様の扱いを受けたのである」
BC級戦犯裁判(林博史著)より

◆西部軍「起訴されたのは将校だけ」

西部軍司令部(福岡市・米国立公文書館所蔵)

一方、約33人の捕虜を処刑した西部軍のケースでは、

「司令官の中将ら32人が起訴され、司令官をはじめ、参謀副長、法務部長など9人の死刑判決が下された。そのなかには、処刑に参加した3人の将校も含まれている。ただし全員、死刑から終身刑に減刑され、死刑になった者はいなかった。この裁判では命令を受けて処刑を実行した者にも厳しい判決が下されたが、起訴されたのは将校だけであり、下士官以下は起訴もされていない。そうした点でも命令下に行った行為については、下士官以下の者は免罪されていたと言ってよいだろう」
BC級戦犯裁判(林博史著)より