◆「命令による実行者」ほかの裁判では

命令の実行者、しかも藤中松雄のような下士官も絞首刑という厳罰が下された石垣島事件。ほかの横浜裁判ではどうだったのか。
福岡の西部軍事件で、1945年6月19日の福岡大空襲で母を亡くし、翌日、西部軍敷地内で米軍機搭乗員4人を斬首した冬至堅太郎大尉が、1953年1月27日付けで巣鴨委員会の戦犯事件調査票に書き込んだ申し立て事項がある。
右の如く類似事件に比し判決加重なり
中部軍事件 処刑実行者 無罪
東海軍事件 処刑実行者 10年(執行停止にて出所)
西部軍事件 処刑実行者 終身
西部軍事件の関係者は、石垣島事件の判決を聞いて、自分たちも同じ目に遭うのではないかとかなりのショックを受けたようだ。
9ヶ月後、冬至堅太郎大尉らが関わった計約33人の米軍機搭乗員処刑事件(油山事件)の判決は12月29日に宣告された。
冬至大尉は絞首刑だったが、石垣島事件の7人が死刑執行された3ヶ月後、終身刑に減刑された。その2年半後に、この調査票を書いている。
◆銃殺で無罪 極めて軽い判決も

「BC級戦犯裁判」(林博史著 岩波新書2005年)の中に、これらの事件についての記載があった。
それによると、中部軍管区の中部憲兵隊が1945年7月5日から8月15日にかけて計44人の搭乗員を処刑した事件の裁判があり、司令官の中将ら27人が被告になったが、
「この裁判では死刑はなく、全員、終身刑以下の刑にとどまった。また命令に従って処刑を実行した者で、正規の処刑方法である銃殺に関わった准尉以下の10人は無罪となった。全体として極めて軽い判決だった」
BC級戦犯裁判(林博史著)より
とある。