生徒や教員が野戦築城隊や斬込隊などに編成されるなか、古堅さんの任務は、第32軍司令部壕の外に置かれた発電機を稼働させるため、冷却水を確保することでした。勾配がきつく、砲弾が飛び交う道を水桶を担ぎ歩いたといいます。
鉄血勤皇師範隊結成から約2か月後には…
▼古堅実吉さん
「大きな水溜めに水を溜めて。いっぱいになったなぁとホッとした状況になった瞬間、米軍の砲弾で西銘君が一言もなくそのままそこで(倒れた)。私にとっては、西銘君の死は決して忘れることはできません」

同級生の死後も、日々犠牲者が増えるなか、鉄血勤皇師範隊は糸満・摩文仁へ撤退。そして解散命令が出された翌日、6月19日、野田校長から最後の訓示がありました。
「死がきょうでも、明日でも、いつ来るかわからない。自らを放り投げて死に急いではならないと。それを大事にして、私自身も、生き抜いてきたと考えています」