【難波章浩さん】「僕でよければ”楽久”の味を守らせていただけませんかと。僕にやらせていただけませんか、ということを伝えさせていただきました」

なんと自ら「楽久」の味を引き継ぐことを宣言。そしてそこには、強力な助っ人たちの姿がありました。
味の継承や店舗の運営をサポートする2人の料理人「KOKAJIYA」の熊倉誠之助さんと「岩室とり蔦」の岩田靖彦さん。そして、お店の改装を手がける大工の斉藤巧さんです。

【熊倉誠之助さん】「憧れの方なので、何か力になれればいいなという気持ちです」

【難波章浩さん】「正直、僕もやっぱりここでラーメン作る側にはまわれないので、店長を募集します」

店長募集の告知から5ヶ月…。店を訪ねると姿を現したのは候補の2人の男性がいました。野口さんと阿部さんです。

【難波章浩さん】「やっぱり女将さんのラーメンも作ってチャーハンも作るって、1人だけだと女将さんのスキルまではいけないと思います。なので、2人体制で行ってみたいと思いまして」

全国から多くの応募があった中、審査を勝ち抜いた2人は一体どんな人物なのでしょうか。

阿部真大さんは25歳の現役大学生で、新潟大学の工学部に所属。大学の軽音サークルでベースを担当する阿部さんにとって、難波さんは元々憧れの存在でした。

【難波章浩さん】「どっちかっていうと、僕はあとで聞いたんですよ、僕がやるからというよりも、もう”楽久”を守りたい、それがやっぱりものすごい僕たちに届いたんです」

【阿部真大さん】「大好きなお店がなくなってしまうのはすごいショックだったんですけど、でもここで応募しなくても、多分誰かが継いで守られていくんだろうけれども、『絶対応募しなかったら後悔しちゃうな』って。ちょうど就活中ってこともあって、まずいっぱい悩んだんですけど、これは応募しないとなって思って」

そしてもう1人が、野口誠さん。

【難波章浩さん】「野口くんは、いろんなお店でラーメンの経験もしていた。最初の立ち上げには即戦力が必要なんではないかと」

野口さんもまたベースを担当するバンドマン。ラーメンの道に入る前は異業種で活躍していました。

【野口誠さん】「前の仕事は、海外に行く仕事でした。半導体の製造機械のエンジニアをやってました」

台湾、韓国、アメリカで仕事をしていた野口さん。海外生活の中、ラーメンの可能性を感じ、2年前に転職。修行を積んできました。

【野口誠さん】「実際、台湾では新潟のラーメン屋さんが出店してたりして。そこでも、やっぱり友達が”美味しい、美味しい”っていって食べたりもしてるのを見たりしてたんで、実際僕もそこに行ってました」

いずれは「新潟ラーメンで世界にチャレンジしたい」と考えていた矢先、このプロジェクトのことを知りました。

【野口誠さん】「音楽で影響を受けた難波さんが『ラーメン』って言ったのが、またすごいインパクトがあって。なんかもうやりたいなと思いました。自分も絶対、自分の人生ですごくいい経験になると思ったんで」

「楽久」閉店までおよそ1ヶ月となった2021年10月。店長候補の2人はこの日初めて、楽久の“厨房”に入りました。プロジェクトメンバーの料理人、岩田さんは既に何度もここに通い、ラーメン作りを学んでいました。

「楽久」の命とも言える黄金のスープ。葛見さんが長年、試行錯誤を重ねてきた門外不出のレシピです。澄んだスープを作るためには温度管理が鍵となります。葛見さんの一挙手一投足を、背中で学び味も体に染み込ませます。

【ディレクター】「この味を継承できると思いますか?」
【店長候補・阿部真大さん】「します」

順調に走り出した『楽久プロジェクト』。しかし一方で、ある問題も生じていました。

【難波章浩さん】「僕らがテレビに出たことで、『楽久が終わっちゃうの?』っていう”楽久”のファンの人たちの声もすごいあった。僕がやるってことで、『楽久終わっちゃうんだ』っていうことが結構話題になっちゃって、そこから”楽久”にめちゃくちゃ人が来ちゃって…。駐車場があんまりないので、そこでちょっとご迷惑おかけしちゃったかなってところがありますね。どういう形で店を開店していくのが一番いいのかなっていう方法を、今すごく模索している」

多くの人に大切な味を届けたい。しかし、お店をどのように運営していくべきか、頭を悩ませていました。