パンクロックレジェンド・難波章浩が生み出した店名とは
【難波章浩さん】「店名は新潟ラーメン・なみ福」
「僕は難波という名字で”波”がつくんですよね。“福”は僕が“楽久”のラーメンを食べて一番感じていたのはやっぱり、癒されるっていう感覚だったんですよ。“福”をもらえる感じというか」
「なみ福」のロゴマークも完成しました。
こうして「楽久 プロジェクト」改め『なみ福 プロジェクト』が動きだしました。

とある日のイタリア料理店。プロジェクトメンバーの料理人・熊倉さんの店「KOKAJIYA」です。イタリア料理店のはずですが…作っているのは、なんとラーメン!
【熊倉誠之助さん】「僕たちラーメンの素人っていうか、別のジャンルの料理人ですけど、逆に別ジャンルだったからこそ、ラーメンのことをスポンジのように吸収しています」
【難波章浩さん】「僕も自分が作るわけじゃないんだけども、すごいラーメンばかり食べてて…。気になる店は、新潟ではだいたい行っている。東京でもなるべく行くようにしていて、この間、人間ドック検査終わって、去年に比べて”メタボ”気を付けてくださいと言われた」
この日に登場したのが、冷凍していた「楽久の“スープと麺”」。
【難波章浩さん】「いま、ラーメンを取り寄せて食べるという人が増えていて、『楽久』の味を限りなく、そのまま再現してお届けできないかと」

“お取り寄せ商品”の研究を始めていたのです。実は難波さん、店舗のオープンに先駆けて、通信販売でラーメンを届けるという方針を決めていました。
この日は「楽久」の店主、葛見さんが作ったラーメンをマイナス60度で冷凍し、
どのような状態になるのかを確かめました。お店そのものの味を届けるべく、工夫を重ねました。

一方、「なみ福」の店長候補、ラーメン経験者の野口さんは「楽久」閉店の日まで
何度も葛見さんのもとに通い、修行を重ねていました。
葛見さんから厨房を受け継いだ後、味の再現に情熱を注いできた野口さん。煮干しベースながら、煮干し感を出しすぎないスープ。繊細な温度管理で透明感のある美しいスープに仕上げます。麺は極細のストレート麺。「楽久」の味に近いラーメンが出来上がりました。
しかし、これだけでは「楽久」の味を継承したとは言えません。
そう、ラーメンとチャーハンのセットで食べるのが「楽久」の味。
具が“卵とチャーシューのみ”というシンプルを極めたチャーハンは、料理人の技術が問われます。
【野口誠さん】「ラーメンも難しいですけど、チャーハンも難しい。油の量と、ごはんの加減によってだいぶ雰囲気が変わってしまう」
【難波章浩さん】「野口くんも本当に、朝早くから女将さんと一緒に自ら厨房にいたので。教えてくれた女将さんにも感謝」

この日、引退後の葛見さんが、野口さんのラーメンを味わいました。
【“楽久”の店主・葛見由紀子さん】「おいしい。おいしい」
【難波章浩さん】「すごい…最後まで食べてくれたよね」
【野口誠さん】「楽久らしい優しい味だって言ってくれたんで、すごい嬉しかったです。まだ届かないところもあると思うんで、そこはちょっと経験を積んで、女将さんの味にもっと近づけるように、頑張ります」
味の継承は順調にスタートしていました。
ただ、難波さんが考えた店名「なみ福」には難”波”さんが、皆に”福”を届けるという想いの他に、もう一つ意味が込められていました。