ともに沖縄戦を生き延びた兄妹、平良修さんと齋藤悌子さん。米軍人に向けてジャズ歌ってきた妹に対し、兄は本土復帰前の沖縄で「沖縄の帝王」と呼ばれたアメリカの高等弁務官の就任式で「これが最後の高等弁務官になりますように」と述べ、世間を騒然とさせた。
米軍基地をめぐり、数十年にわたり顔も合わせないほどすれ違ったきょうだい。その2人をつないだのは、90歳になった兄が初めて訪れたライブで妹が歌った『ある歌』だった。

前編/後編のうち後編)

「これが最後の高等弁務官になりますように」就任式で驚きの祈り

修さんのもとに、アメリカから任命された第5代琉球列島高等弁務官の就任式で、牧師として祝福の祈祷をするよう依頼がきた。高等弁務官は、米軍統治下だった沖縄の全てを牛耳る最高権力者だ。

就任式当日。修さんは母に電話し「何があっても心配しないで」とだけ告げた。新しい高等弁務官を前にして「これが最後の高等弁務官になりますように」と述べ、一日も早くアメリカの支配が終わるようにと、神に祈りを捧げた。

人が人を力で支配するのではなく、人間としての尊厳が大切にされる世界を願った祈りの言葉に、会場は水を打ったような静けさに包まれた。

修さんは、自分の後ろでこうべを垂れていた高等弁務官がどんな表情をしていたかは見ていない。ただ、発言のあと、会場にいた記者たちが慌ただしい様子だったのは覚えている。

沖縄県内外のマスコミは、就任式での発言を大々的に報道した。修さんは、米軍に身柄を拘束されることも覚悟していたが、予想に反して、何のお咎めもなかった。修さんは「私への弾圧の結果、沖縄民衆がさらに反米的になることを恐れて黙殺した」と解釈する。

「大変なことになった」

悌子さんが兄・修さんの発言を知ったとき、そう思った。しかし、すでに沖縄を離れていたこともあって、どこか遠い話であった。