夫との早すぎる別れ 失意から救ってくれたのはやはり歌だった
25歳でバンドマスターの齋藤勝さんと結婚した悌子さんは、30歳を前に沖縄を離れ、鹿児島まで船で渡りオープンカーで1か月かけて夫の故郷・千葉へ。そのころには生活の拠点ができていた。2人の子どもに恵まれ、ライブ活動をつづけながら忙しい毎日を送っていた。

悌子さんの幸せな生活が大きく変わったのは50代のとき。夫の好きな石垣島に移住してわずか2年…勝さんが病気のため亡くなったのだ。
齋藤悌子さん
「本当に優しい主人でしたからね。あっという間に逝っちゃったでしょ。それで私はもうどうしていいかわかんなくなって、しばらく音楽が聞けなかったんですね。音楽が流れるとすぐ涙が出ちゃうから、思い出して」
歌を封印する日々は10年以上続いた。しかし、そんな悌子さんを救ってくれたのはやはり歌だった。ある日、喫茶店から流れてきたジャズを聴いて、もう一度歌いたいという気持ちが湧いてきたのだ。

再び歌い始めた悌子さん。ウクレレサークルで仲間と歌う程度だったが、悌子さんのこれまでの歩みを知った音楽関係者が、音源を残そうとレコーディングを実施。2022年夏、86歳にして初のアルバム「A Life with Jazz」をリリースする。
兄妹のすれ違いが続く中で、悌子さんのCDデビューの話題は、報道によって修さんのもとにも届く。
この頃までの修さんは、牧師として基地の反対運動に徹し、多忙な生活を送っていた。悌子さんと会うことはほとんどなく、悌子さんの夫・勝さんの葬儀にも参列しなかった。
修さんは、妹が再び歌いだしたことを知って、ジャズがどれほど妹にとって大切なものだったかを理解した。

平良修さん
「妹も、自分が良しと信ずる道を選んで生きている。おおいに歌いたかったら歌ったらいい」
91歳を目前に控え、修さんは初めて妹の歌を聴くことにした。