長いすれ違いを乗り越えたもの

2022年11月、CD発売を記念してライブが開かれた。会場は満員だった。悌子さんは20代の頃のステージ衣装に身を包み、「サマータイム」や「テネシーワルツ」など、基地の中でもよく歌った曲を、丁寧に味わうように歌っていく。
最前列に座る修さんは、悌子さんとは目も合わせず、うつむいて聴いていた。

ライブの中盤、修さんの心を動かした歌があった。それは「ダニー・ボーイ」。
アイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」の旋律に歌詞をつけたこの曲は、大切な人との別れを想起させる。
♪ ダニー・ボーイ
いとしき我が子よ いずこに今日は眠る
戦に疲れた体を休めるすべはあるか
おまえに心を痛めて 眠れぬ夜を過ごす
老いたる母のこの胸に
帰れよ ダニー・ボーイ 帰れよ
悌子さんは会場で、この曲にまつわる米兵との思い出を語った。

齋藤悌子さん
「若い軍人さんと素敵な女性が踊っていらして、よく見ると軍人さんが泣いているの。どうしたんだろうと思って、あとでスタッフに聞いたら、あすベトナムに行くんだと。ショックでした。あの人は生きて帰ったかわからない」
1960年から75年まで、およそ14年半にわたって続いたベトナム戦争。沖縄は最大の後方基地としてアメリカ軍の支えとなっていた。
齋藤悌子さん
「あの頃は、ダニー・ボーイをきれいないい曲だなって歌っていた。でも、内容を聞いたり、歳を重ねるごとに、胸を打たれちゃう。ましてや今でも戦争している所があるじゃないですか。戦争は絶対いけないと思うの」
平良修さん
「兵士たちは気持ちをほぐされて、休息を与えられて、優しい気持ちを養われて、その場にいたと思う」
ライブ会場が大きな歓声で包まれる中、修さんは無意識のうちに、妹を抱きしめていた。