社会との摩擦、そして「願い」へ

事件後、家族はメディアとの向き合い方にも苦しんだ。実名報道を「隠す必要はない」と受け入れたものの、自宅にまで記者が訪れるようになった。
渡辺達子さん
「ここへ来て取材するんじゃなくて、何でこんなことが起こったのか調べて書くのは、報道マンたるもののお仕事と違うんかって言ったんです。何年か経ってご近所さんに聞かされたのは『その子がその角っこで我が家の方向いて、ずいぶん長いことお辞儀してた』というのをつい最近、聞かされて。ああそうやったんかって。言い過ぎたかなと思いましたね」
数年後、達子さんはある新聞社から講演の依頼を受けたという。
渡辺達子さん
「実名報道とか被害者とか被害者遺族に対する報道の仕方について、喋っておられるので、会社で講演をしてくれないかというお誘いを受けたんです。報道の立場からそんなお話いただいたのは初めてだったんですけれども、なんかちょっと嬉しかったんですよね」














