◆七名はまた残された・・・

1949年1月に再審の結果が伝えられて、石垣島事件での死刑囚は13人にまで減った。残った13人は翌年3月までの1年2カ月を苦しみながら過ごす。
<第五棟 北田満能(「七人を偲びて」1951年より)>
この次の審査では死刑が確定するのである。十三名の中に果たして誰が、幾人助かることやらー。割りきれない判決だけに自己の解決に対して極度に苦しんだのはみな一様であったろう。私は五月初めから九月の末まで病気のために入院して、人生とは全く無頓着な精神状態にあったので比較的楽をした結果になったが、帰房してみると五棟の空気が一変しているのが感じられた。それは、また自分の精神状態が完全に復旧していなかったせいかも知れない。
昭和二十五年三月二十九日、階下から大声で石垣島関係六名の減刑を知らしてくれる。つづいて入った新聞の発表も見る。自分は助かった。だが七名は又残された。この人々の運命は、これが最後となるのではなかろうか。そうは思いたくないが、事件の本質を当局が素直に受け入れてくれたら、或いは大部分の人が助かるのに、助かると信じたい。