スガモプリズン最後の死刑執行が行われたのは1950年4月7日。6日の深夜、日付をまたいですぐ午前0時半の執行を通告されていた藤中松雄は、朝から家族に向けて次々に遺書をしたためた。婿入り先の両親へ、妻へ、息子たちへ、生家の両親や兄妹、親戚たちへ。5日の夜に死刑囚の棟から連れ出されて書き始めた遺書は、21枚になっていた。そして自分に残された時間があと3時間を切ったころ、松雄が最後に鉛筆を走らせたのはー。

最期まで寄り添う教誨師

スガモプリズン最後の処刑で命を絶たれた藤中松雄

スガモプリズンの二代目教誨師を務めた田嶋隆純氏は、仏の教えを説くだけでなく、死刑囚たちの助命嘆願運動に力を注ぎ、「巣鴨の父」と慕われた。その田嶋教誨師の遺品の中に、藤中松雄からの「最後の遺書」があった。

<藤中松雄が田嶋教誨師に宛てた遺書 1950年4月6日>
遺書
導師 田島隆純先生
先生 永い間本当に御世話になりました。厚く厚く御礼申し上げます。
いよいよ近まりつつありますが、こうした安らかな心で居られますのは、長い間教え導き下さった先生のお力だと深く深く感謝しております。
先生 短い言葉ではありますが、藤中の感謝に充ちたこの気持ちをどうかお察し下さい。では先生 お元気に さよなら
合掌 南無阿弥陀仏 藤中松雄 昭和二十五年四月六日夜十時三十分頃


藤中家から嘉麻市碓井平和祈念館に寄贈された遺書の21枚目には、「午後9時25分」と書かれていた。この遺書も同じ便箋に書かれていて、家族への遺書を書き終えたあと、死刑執行まで寄り添う田嶋教誨師へ、最後にお礼の気持ちを綴っていた。末尾に「夜10時30分頃」と書かれていて、「22枚目の遺書」と推察される。田嶋教誨師は、この22枚目を手元に残し、21枚は家族の元へ届けたのだろう。