◆風邪をひいた大佐「いよいよ行きます」

最初に現れたのは、石垣島警備隊の司令、井上乙彦大佐だった。風邪をひいていた井上大佐は、まだ体調が戻っていないようだった。
<冬至堅太郎の日記 1950年4月5日水曜日>
I「いろいろお世話になりました、いよいよ行きます」と丁寧に頭を下げられる。顔はほんのり赤い。
T「石垣島全部ですか?」
I「どうもその様です。残念ですが止むを得ません」
T「そうですか、何れゆく先は一緒です。待っていてください」
I「いやいや、貴方はどうか生き残って下さい」
◆いずれ行く先は一緒 先でゆっくり話そう

続いて現れたのは、副長の井上勝太郎大尉だ。岐阜出身で人材不足から若くして副長の役に就いていた井上は、復員後、慶応義塾大学で経済を学んでいたところを米軍に拘束された。死刑執行時は27歳だった。
冬至はスガモプリズン内の回覧新聞の作業をめぐって井上に対して良く思っていないことがあり、率直に気持ちをぶつけた手紙を井上に送ったが、返事がこないまま、この日を迎えていた。
<冬至堅太郎の日記 1950年4月5日水曜日>
〇井上乙彦氏のすぐあとに井上勝太郎君、いつも血色の悪かった顔が今日は一層蒼い。然し態度は静かだ。
I「長い間お世話になりました。貴方たちの減刑を祈っています」
T「井上さん」
I「え?」
T「私は貴方と二人っきりで一度ゆっくり話し合いたかった。とうとう出来なかったのは残念ですが、何れ先か中に行ったら一緒です。ゆっくり話し合いませうな」
I「ありがとうでざんす」
T「じゃ、さよなら」
I「お元気で」