空襲を目撃した女性 当時を思い出し涙

この日、公民館に設けられた慰霊の祭壇にお参りにきた女性がいた。
最近、簀子地区へ引っ越してきた倉光郁美さん(88)。

空襲のときは、2キロほど離れた大名地区から燃える街を見ていた。
父に手をひかれて、B29を間近に見たという。

倉光郁美さん
「母はね、怖いから見ないっていったけど、父親に無理矢理手をひっぱられて、二人で見た。銀色のB29、ほんの目の前ですよ。バーンと燃えた、赤坂門の先ずっと」
倉光さんは、戦後、米軍が進駐してきた時のことも、良く憶えている。当時、小学3年生だった。

倉光郁美さん
「進駐軍は日本人みたら食い殺すとかものすごいデマがはやったんですよ。道で出会ったらつかまえられて食い殺されるって。それが全然違う。ざっくばらんで、優しくて、面白くて、親切で。だから、なんでこんな良い人たちと戦争せないかんかってチラッと思いましたね」

簀子地区が現在校区となっている舞鶴中学校では、この時期、平和教育が行われている。
以前は経験者に直接話を聞いていたが、語れる人がいなくなったいまは、簀子公民館が制作したビデオで学んでいる。

生徒たちが平和への思いを込めて作った折り鶴を納めに、公民館を訪れた。

舞鶴中学校 生徒会会長
「舞鶴中学校全校生徒で慰霊の気持ちを込めて、鶴を折りました。永遠の平和を願って、鶴をお納めします」

舞鶴中学校 3年 吉原梨々子さん
「私達は戦争を経験しないほうがいいし、したこともないから、想像でしかないけど、ここがほんとに何もなかったとか考えられないし、もう絶対二度とそんなことがないように、ひとりひとりがその戦争の恐ろしさを知っていかないといけないなって思います」