司令部が近いことで集中攻撃 甚大な被害

西部軍の司令部が近くにあったことで、集中的に攻撃され、甚大な被害を受けた場所があった。
福岡市中央区の簀子(すのこ)地区だ。

この地区では176人が亡くなり、空襲から2年後、地域の人たちが供養塔を建てた。

今年6月14日、福岡県教職員組合が企画した戦跡をめぐるツアーに参加した人たちが、供養塔が建つ簀子公園に立ち寄った。

空襲で焼け残った旧簀子小学校の赤れんが塀は、戦災遺構として残されている。

ツアーの案内をする人
「かつてこの塀はもっと倍くらいの高さはあったんですよ。これもそうですけど、埋もれていってしまうっていうのが、ちょっと悲しさはあるんですけど、かつてはこうだったよっていうのを是非、伝えていただきたいなというふうに思っています」

ツアーの参加者
「沖縄慰霊の日や原爆の日は、よく考えるきっかけがあると思うんですけど、よくよく考えてみたら、自分たちの身近な福岡大空襲を知る機会っていうのがなかなか無くて。でも、僕も教員をしているので、こどもたちにやっぱり、過去あったことを伝えていかないといけないし、そこにあった命とか、亡くなった人たちの思い、当時の人たちの思いをつないでいくということは大事だと思います」