自身も前立腺がんに…導かれるように指宿へ
大阪には戻らなかった。
ひとりになった八幡さんが「前立腺がん」と分かったのは、2024年9月のことだった。主治医は摘出を勧めてきたが、どうにも気が進まず、ほかの治療法を調べていた。
ある日、自宅で片づけようとした新聞が目に入った。鹿児島県指宿市にあるがんの陽子線治療を行う医療機関の情報が載っていた。その日、10月24日は亡き母の誕生日。「ここに行きなさいってことだ」八幡さんは直感した。
「そう言えば、母が指宿に行ったことがあると言ってたな……」と思って昔のアルバムを開いた。その中には、新婚旅行の父と母の姿があった。

「どうせ治療で指宿に行くなら、父と母の新婚旅行を追いかけてみよう」
そう思った。
2024年11月には、指宿のメディポリス国際陽子線治療センターで治療が始まった。敷地内に隣接するホテルに滞在し、がんの部位に定期的に陽子線を当てる。体への負担はほとんどなく、1週間に1回ほど福岡に帰れた。
治ったらアルバムの場所を巡りたい。八幡さんは治療中から準備を始めた。
「両親のアルバムに写っている場所がどこか分からないでしょうか」
まず話しをしたのは、患者の相談を受ける担当者だった。担当の女性は親身に話しを聞いてくれ、ほかの職員にも声をかけて調べてくれた。それだけでなく、指宿でタクシー運転手をしている男性も紹介してくれた。その人たちにアルバムの写真を見てもらったが、いずれも場所は特定できなかった。














