亡き両親の人生をたどる。決意にあった理由
福岡県に住む八幡さんが、両親の新婚旅行の場所をめぐろうと思ったのには理由があった。

父と母との3人家族で育った八幡さんは、高校を卒業後、県外の大学に進学。卒業後は都内で語学の勉強を続けていた。
25歳のとき、親戚から電話があった。父の兼伍さんが舌がんになったという知らせだった。都内を引き払い、福岡に戻った。地元企業に就職し、働きながら闘病に付き添った。
父・兼伍さんは、小学校の教師だった。教え子がよく遊びに来る家だった。令和の今では問題になるかもしれないが、夏休みには教え子たちがキャンプがわりに何人も泊まることもあったし、家に子どもたちを集め勉強をみていることもあった。
「父は教師として子どもたちを大事に思っていたし、子どもたちが好きだったんでしょう」(八幡さん)
闘病の末、兼伍さんは50歳で亡くなった。3人だった家族は2人になった。芳子さん51歳、八幡さん25歳の時だった。
27歳になった頃、八幡さんは、四国にある母の出身地で公務員の採用試験を受けた。「地元に引っ越せば母も寂しくないだろう」と思ったからだった。
無事に公務員として採用され、母子で四国に落ち着いて暮らすはずだった。「慣れるまでは」と、当初は母を福岡に残し、公務員寮に住んでいた。仕事の忙しさもあり、母と住むアパートを見つけるのに時間がかかってしまった。
これがまずかった。