家族7人を奪われた少年

深堀悟さんは、11歳のとき爆心地から約1.5キロの地点で被爆しました。
永井隆記念館近くにあった自宅は全焼。瓦礫の中から家族の遺骨を見つけました。

被爆者・深堀悟さん:
「木一本もない、瓦だけ。そこの中に瓦の中に死体があった、骨があった、2つ、9日の朝ごはんを食べた時に婆さんとお袋とおったからその2人だろうと思って」

深堀さんは、家族を一度に奪われた喪失と飢えに苦しみ、何度も「死のうと思った」と語っています。

被爆者・深堀悟さん:
「瓦の中に骨が2つあった。9日の朝ごはんを食べた時に一緒だった婆さんとお袋だろうと思って…。バッタ、ヘビ、カエル、トカゲ…なんでも焼いて食べた。家族がいないのは本当に辛かった。何も残らなかった…」

被爆者・深堀悟さん:
「私も死のうと思ったことあります。何回も、どうして俺だけ残して家族は逝ってしまったんかって…。今までいた人、あったもの、何にもなくなると大変ですよ、こんなことない。あんたたちはせっかく平和な時代に生まれたからね、平和が続くように努力して下さい」

長崎被災協・横山照子副会長「(深堀)悟さんをなんとか生き返らせたいと思ってたんですよ。一人生き残ったんです…家族全員亡くなって。本当だったら普通の道から外れてたことをやっていたんだって言っていましたた…」

「核兵器は“落ちた後”も人生を壊す」

横山照子さんは、証言の発信がなぜ重要なのかをこう語ります。

横山照子副会長「核兵器の被害というのは、落とした時だけではない、その後生きた人たちがどうだったか、どういう風に体を壊していったのか、生活を壊していったのか、精神を壊していったのか…。ちゃんと見て欲しい。わかってほしい。だから核兵器はだめなんだよって私たちは言っているわけなんです。それを世界に長崎から発信していこうと。最後の被爆地として果たす役割だと」

預かった「証言」を未来へー

「被爆者80人の証言」は、今年8月9日に向けて長崎被災協とNBCのウェブサイトで順次公開され、英語字幕をつけて世界に発信していきます。

ロシアによるウクライナ侵攻や中東情勢の緊張、北朝鮮のミサイル発射など、いま戦争での核兵器の使用が現実味を帯びています。絶対に使わせないように「核のタブー」を被爆者の声によって守りぬく、そして核兵器のない世界の実現を目指していくプロジェクトです。