サリン被害者 病と闘った25年

事件の被害者遺族はいま、何を思っているのか。妹を亡くした浅川一雄さん(65)。幸子さんは25年にわたる闘病の末、5年前に亡くなった。

浅川一雄さん
「あの事件をきっかけにいろいろな障害を負って、寝たきりの生活になってしまった」

事件前、初節句のお祝いで姪を抱く幸子さん。その2年後、31歳だった時、地下鉄丸ノ内線の車内でサリンの被害に遭った。

一命は取り留めたものの視力を失い、言語障害と全身マヒの重い後遺症が残った。懸命のリハビリを続ける幸子さんを、兄の一雄さん一家が自宅で介護し支えた。

当初は顔を出さず取材を受けていたが、事件の風化を防ぎたい兄の思いもあり、実名で応じるようになった。幸子さんが乗った車両にサリンをまいた広瀬健一元死刑囚の最高裁判決には、自ら法廷に出向いた。

浅川幸子さん(当時46)
「死刑、大バカ」
浅川一雄さん
「『死刑、大バカ』と言っています」

最後まで回復を信じてリハビリを続けた。事件から25年が経った2020年、亡くなった。56歳だった。

幸子さんは事件をどう受け止めていたのか。

浅川一雄さん
「一生をめちゃくちゃにされて、悔しいその気持ちが一番だったと思います」

母親を残して旅立った幸子さん。幸子さんが最後に入院した際、母親が見舞いに来た。

幸子さんの母
「ごはん食べてる?うん。うなずいたよ」
浅川一雄さん
「わかる?幸子、お母さんだよ。わかるよね。はーいって」

浅川一雄さん
「妹自身も、『親より早く死ぬのは一番の親不孝』とよく話していたので、そういうことを思うと、少しでも長く生きなければという気持ちはいっぱいあったと思います。本当に頑張ってきた一生、25年だったと思います」