日本長距離界の希望

第1回大会からテレビ中継が行われているしずおか市町対抗駅伝。今でも語り草になっている実況がある。

「清水町のホープ、いや、日本の長距離界の希望といってもいいと思います」

これが生まれたのが、第2回大会(2001年)。中高生ランナーが混在する9区で、中学生離れした快走を見せた佐藤悠基選手(清水町)を、実況アナウンサーはこう評した。佐藤選手はその後、実況の通り、日本長距離界のエースへと成長。ロンドン五輪に出場し、38歳となったいまも第一線で走り続けている。

こちらも、駿河路で大きなインパクトを残したのが、いまや、名門・Hondaのエース伊藤達彦選手。結果、8人もの選手が区間新を叩き出す超高速レースとなった第16回大会(2005年)5区(高校生男子)で、伊藤選手も快走を見せる。

「あごが少し上がって苦しい表情ではあるんですが、前への推進力は見事」(当時の実況より)

名門・浜松商高陸上部の門を叩いたものの、インターハイにも、全国高校駅伝にも縁のなかったランナーが、高校最後の大舞台で区間新を記録。全国高校総体でも結果を残した太田智樹選手や荻野太成選手らに続く区間4位で走り切り、大きな自信をつけた。

その後、東京国際大で箱根駅伝に3度出場、Honda就職後、地元で行われた日本選手権で、駿河路での快走を思い起こすような走りで優勝を果たし、東京五輪の10,000メートル代表まで登りつめた。